阪神大震災から11年

11年となると、もう今の中高生であまり記憶にない子もたくさんいるんでしょうね。
ニュースや新聞で知っても、それはあくまで「知識」に過ぎなくて
ある意味、自分たちが戦時中の話を聞くような感じなんでしょうね。
「月日は百代の過客にして〜」って感じです。


戦争の話が後世に伝えられていくことは非常に大事なことですが
あの震災を忘れないという意味でも、当時の自分の記憶を辿ってみようと思います。

  • 1995年1月15日。

地元で成人式。

  • 1995年1月16日 夜。

当時の下宿先である名古屋へ新幹線で帰る。
今日に至るまで、新幹線には数え切れないほど乗っていますが
今思えば不思議なのですが、この日に限ってなぜか新幹線のデッキに出てみたくなり
短い時間でしたが、しばらくデッキから夜の街並みを眺めました。
それが偶然にも、丁度、神戸を通過するあたりで
「このあたりが神戸かぁ」と、街並を眺めながら何となく思ったのを覚えています。

  • 1995年1月17日 朝5時46分。

下宿で1人で寝ていたところ、少し大きめの揺れで目が覚める。
眠い目をこすりながらテレビを付けてみると、確か震度3と出ていたような気がします。
ただ、それよりも気になったのは関西地方の震度の大きさ。
直後の速報では、まだ神戸の震度の大きさが出てなかったので(あるいは見落としたか)
京都、大阪あたりが震源の大地震なんだと思いました。


当時、友達が兵庫、大阪、京都に住んでいたのですが
その中でも一番仲のよかった友達が京都にいたので、急いで電話してみたところ
揺れは大きかったものの何とか大丈夫、ということで
とりあえず安心して再び眠りに就きました。


そして午後。
1本の電話が鳴り、出てみると相手は地元の姉。
「大丈夫?」というので「何が?」と聞いたところ
「関西地方が大変なことになっているけど知らないの?」と。


当時、姉は銀行員だったのですが、
関西方面は全面的に機能がストップして、全く繋がらなくなっている。
そっち方面は電話も全然、繋がらなくなっている。
などといったことを受話器の向こう側で、次々とまくし立てるのです。


自分は何が何だか事情がよく掴めないまま、とにかくテレビを付けてみると
そこには、ビルや高速道路が倒壊している映像が…。
それらを観ているうちに、次第に事の重大さがわかってきました。
何か日本の歴史上、未曾有の出来事が今、まさに起きているんだと。
これは映画でも何でもなく、現実に起きていることなんだと。


そこからは電話を切ったあとも、ずっとテレビに釘付けでした。
その後、他の友人の無事も確認でき、とりあえず幸いにも周りで被害はなかったのですが
ほんの半日前に新幹線で通過し、窓から見たあの街が…。
と、ただただ呆然とするしかありませんでした。


実は大学進学時、神戸と名古屋の2つが行き先の候補として残り
最後の最後で名古屋に行くことになったとき
「そのうち東海地震とかあるって言われてるけど大丈夫?」と心配されました。
当時、一般的には神戸で地震が起きるなんてことは言われてなく
むしろ東海地震の方が現実味を帯びて語られていました。
自分が行かなかった方の神戸で大地震が起きてしまい、
しかも神戸の大学生の方が何人も亡くなったということには、
正直、非常に複雑な気持ちになります。


その後、新幹線の神戸付近は数ヶ月間ストップしたままで
その年の春休みに帰省するときは、確か新大阪までは新幹線で移動し
そこから在来線に乗り換え、さらにバスに並ぶという感じで
新幹線→在来線→バス→在来線→新幹線、というようなルートで帰った記憶があります。


もちろん、それ自体、時間もかかり大変だったのですが
実際の街並みを見たときのショックの方が遥かに大きかったです。
それまでニュースではもちろん映像を観ていましたが、実際に見るのとはやはり違います。
関西地区あたりになると、屋根をブルーのシートで覆っている家が
段々と目に付くようになってきました。


バスへの乗り換えのため、駅からしばらく歩き
長い行列に並んだ場所は、住宅地の近くでした。
塀のブロックはあちこちで崩れていたし
斜めに傾いている家もありました。


そして、一番ショックだったのは、そういう傾いたある家に、
そこの住人が書いたと思われる、次のような内容の木の板があったことです。
「いい加減にしろ! 面白半分で写真を撮るな!」
記憶にある人も多いと思いますが、
当時、被災した家の前で記念写真を撮るバカが多くて問題になっていました。
その文字からは、明らかに社会全体に対する激しい怒りが感じられたし
ただでさえ苦しんでいる被災者が、さらに心無い人たちによって
2重に苦しめられているという現状に、とにかく激しいショックを受けながら
いつ乗れるとも知れない長いバスの列に並んでいたのを、昨日のことのように思い出します。


その数年後、友達の1人が神戸に引っ越すことになり
震災以来、久々に神戸の地に降りてみましたが、
もう既に震災の影響は見られず、ごく普通の街に戻っていて安心しました。
住民の方々が、復興へ向けてホントに努力されたのだと思います。


早いもので、あれから11年経ち
震災を知らない世代も増えてきましたが
何千人もの人が一瞬のうちに死んでしまうような大地震
それまでは遠い海外の出来事で、まさかこの日本で起きるとは夢にも思っていなかったし
今思い返しても、まさに一瞬にして世の中の価値観が変わってしまうような出来事だったと思います。